足吹とは?

足柄吹奏楽愛好会(略して足吹)の結成からの秘話を会員の手記でご紹介いたします

金管バンド結成 〜最初は渋ったO氏〜

'81年3月。Y高校を卒業したW氏は、休日のたびに単車や車で風を切って飛び回っていました。
そんなある日、先輩のY氏と、高校時代、吹奏楽部の講師としてお世話になっていたO氏(当バンド常任指揮者)の自宅に遊びに行き、昔話をしていた時、Y高校吹奏楽部のOB会の話が出てきたのです(実は3人共、Y高校の出身)。
 

当時のY高校吹奏楽部のOB会は、会報"おたまじゃくし"なるものを発行している程度で、演奏活動はしていませんでした。 それで吹奏楽好きのY氏はEupを吹く場所を求め、「俺たちでやってみようか」と提案。「おいおい、市民バンドを運営することは、大変なことなんだよ。」とO氏....そのやり取りを黙って聞いているW氏....その日は何事もなく終わりました。
 

その数日後、Y氏がW氏の家にやってきて、そそのかし始めます。
「オイW、この間の話だけど、とりあえずうちのOBに話をつけてやってみないか」
「エーほんとにやるの」
「とりあえずもう一度O氏に話してこいよ」
「じゃ、もう一度行きますか」
 

2人は、もう一度O氏の自宅を訪ねました。 「ほんとにやる気があるのか」と言って、なかなかよい返事が得られません。3人であらゆる角度から吹奏楽団体発足について検討していた時です。「そういえばSちゃん(当時Y高校吹奏楽部顧問:当バンド会長)が結婚するからね。」
と爆弾発言が飛び出しました。その後、S先生の結婚式の余興にOBで金管バンドを編成し、演奏することになりました。
決まってからのO氏の活躍は素晴らしく、メンバーの確保・練習会場の確保・楽器の確保・楽譜の調達と悪魔?のように飛び回り、無事?S先生の結婚式を終えることができました。
 

このメンバー全員で「このまま解散するのはもったいない。」と、O氏を中心とした金管バンド「OTB(大竹登志雄バンド)」が発足しました。

吹奏楽の集い

当初、ORBは金管アンサンブルとして発足しました。 そして少人数ながら演奏活動を続けていました。そのひとつに「キラキラ星コンサート(O氏夫人等が主催するピアノ発表会を中心としたコンサート)」への参加、その後木管楽器も加えてほしいという要請があり、1986年木管楽器を導入し、シンフォニックバンドOTBとして新しく出発しました。
 

O氏の「松田を中心とした西湘地区の吹奏楽団の発表の場が有ってもよいのではないか」という発案で、吹奏楽の集いを開催することになりました。O氏がOTBの会長であったため、OTBが主催し、準備することになりました。
 

今では信じられないかもしれませんが、松田を除く近隣の町の教育委員会の後援まで取付け、盛大に行われました。 ポスターは当時Hr担当、現W氏夫人であるいずみさんが描き、どしゃぶりの雨の中、O氏とW氏で各学校へそのコピーを配り歩いたそうです。  いずみさん直筆のポスターが松田町民文化センターの入口正面に貼られたのは、いずみさんのたいへん良い思い出になったそうです。  曲目は「トランペット吹きの休日」「メイム」「アルヴァマー序曲」「フォールリバー」「ヘ調のメロディー」でした。観客動員数も多く、活気に溢れた演奏会となりました。
 

その後その年の10月に、OTBは神奈川県吹奏楽連盟に加入し、バンド名を「足柄吹奏楽愛好会」と改め、第1回定期演奏会を開催しました。

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